RION-JPN-vol8
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ホームタウン!今回のテーマ[国分寺の歴史]meetsみことのりOUR FAVORITE TOWN, KOKUBUNJI リオンのスタッフがナビゲート 19取材後記リオンのスタッフが、国分寺で活躍する旬な人や場所を訪れ、国分寺の魅力を再発見するコーナー。今回訪問したのは、武蔵国分寺跡の史跡と資料館。ここでは、国分寺の地名の由来となっている「武蔵国分寺」や、国分寺市内で行われてきた発掘調査について知ることができる。学芸員の増井さんは、教科書を読んだだけではわからない歴史の魅力を教えてくれた。武蔵国分寺によって建立された寺院。武蔵国分寺跡は聖武天皇の詔規模やその歴史的価値の高さから、1922年(大正11年)に国史跡に指定された。現在は、その一部が市立歴史公園として整備され、保存・活用されている。武蔵国分寺跡資料館「見る」・「学ぶ」・「訪ねる」をコンセプトにした資料館。主に史跡武蔵国分寺跡の出土品を展示し、これまでの発掘調査の成果や、市内の文化財、史跡武蔵国分寺跡の整備事業などを紹介している。増井 有真武蔵国分寺跡資料館 学芸員学生時代は考古学を専攻し、卒業後は石造文化財調査研究所、品川区立品川歴史館を経て、現在は国分寺市教育委員会 教育部 ふるさと文化財課 文化財保護係 係長。2018年から4年間勤めた国分寺市市政戦略室(観光協会事務局兼職)を機に、観光まちづくりの観点から、国分寺市の歴史の観光資源化と、多数のイベント企画や市内外での教育普及活動を行う。みことのり リオン社屋のすぐ裏手、国史跡に指定されている武蔵国分寺跡には、かつて、国分寺という地名の由来となっている「武蔵国分寺」が建っていた。そもそも「国分寺」とは、741年(奈良時代)に聖武天皇が出した「国分寺建立」を受けて全国各地に作られた寺院のこの詔とである。 なぜ聖武天皇は日本中に寺院を建立させたのか。彼が治めた時代は、災害や凶作に加えて天然痘という疫病が流行った。天然痘の猛威は凄まじく、当時の全国民の三分の一から五分の一が亡くなってしまったそうだ。そんな荒れた状況から国を守るために、仏教の力で人々を救いたいと考えたのだ。 学芸員の増井さんは、聖武天皇の人格を窺い知ることができるエピソードを紹介してくれた。「彼は天変地異や罪人が絶えない現状を、自分の責任であると言ったんです。自分が良い政治を行えていないから、世の中が不安定な状況であるのだと。医療も科学もない当時において、なんとかすべての人に平穏をもたらしたいと考えた結果が『国分寺建立の詔』だったんでしょう」 この詔を受けて、武蔵国(現在の東京都・埼玉県及び神奈川県の横浜・川崎に相当する地域)に建立されたのが武蔵国分寺である。広大な領土をもつ武蔵国で、国分寺の建立にこの土地を選んだ理由には、国府(役所)から近いこと、湧き水があること、東山道武蔵路があり交通の便が良いこと、四神相応の地で風水的にとても条件が良いことなどが挙げられる。増井さんが当時の人であってもこの場所を選ぶと断言するほど、ぴったりの場所なんだとか。また、武蔵国分寺の特徴は、敷地が広いことや全国でも最大級の金堂があったことなどが挙げられる。「この特徴は、武蔵の人たちが聖武天皇の想いを受けとって、一所懸命に建立したことの表れだと思うんです」と増井さんは見解を話してくれた。 ところで、国分寺という地名は一度消滅の危機にあったそうだ。明治時代に国分寺村を含めた複数の村が統合される際、新しい村名を決めることに難航し、一時は全く別の名前が候補に挙がっていた。しかし、1年間の話し合いの末に国分寺という地名が残ることになった。それは国分寺が聖武天皇の頃から続いている重要な地名だという認識を共有できたことが要因であったのではないかと言われている。「国分寺」という寺院は全国に68寺建立されたが、現在も地名として残っているのはここだけだそう。増井さんは、国分寺という地名のすごさや大切さを話し合いの中で伝えた人たちがいた、ということに着目している。 「国分寺の名が残っているのは日本に誇れることだと思いますし、それを守ろうとしてきた人たちの想いがあったことが素晴らしいところ。歴史って、物とか事象に注目しがちなんですが、その裏に隠された人の想いをいかに引き出すかを重要視して、伝えるようにしています」 今は公園となっている史跡を歩いていると、増井さんが石のようなものを拾って見せてくれた。「これ、1300年前に作られた瓦の破片なんですよ」よく見るとあちらこちらに同じような破片が落ちている。この場所では、歴史的な遺物がなんてこともないように身近に存在しているのだ。奈良時代から様々な人の想いが繋がれて、今の国分寺があることを、瓦の破片たちは身をもって感じさせてくれる。国分寺に纏わるエピソードで話が尽きず、取材時間はあっという間に過ぎました。増井さんのわかりやすい歴史解説の秘訣は「子どもたちが説明を聞いた後の会話や展示物を見た時の反応を踏まえて工夫すること」と言います。時代を感じられる場所が数多く存在することは国分寺の魅力であり、それらを守り抜いてきた人々の想いを知ることで、ものの見方が変わりました。自分と異なる価値観や考えを知るきっかけを与えてくれるのが、“歴史を学ぶこと”であると感じました。(リオンテクニカルジャーナルスタッフ 岡部 雄紀)奈良時代からの想いをつなぐ、「国分寺」という地名の由来リオン国分寺

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